冬の終わりが近づくある日、私は喫茶店で友人のミキと向かい合っていた。彼女は最近、ある人物との関係に悩んでいると打ち明けてきた。湯気の立ち上る紅茶を前に、ミキは途切れ途切れに話し始めた。
私はミキのことをよく知っている。大学時代からの付き合いで、彼女の優しさも繊細さも、時々見せる強情な一面も、すべて理解しているつもりだった。だからこそ、今回の相談には真剣に向き合おうと思った。
トラブルの相手について、私は細かく質問を重ねた。その人物がどんな言動をとるのか、どんな性格なのか、ミキとどんな関係なのか。話を聞けば聞くほど、その人物の自己中心的な性格が見えてきた。相手の都合を押し付け、自分の非を認めず、ミキの善意につけ込むような振る舞い。
「そんな人とは、きっぱり縁を切った方がいい」
私は迷うことなく、そう助言した。これ以上ミキが傷つくのを見たくなかったし、この判断は間違いないと確信していた。ミキもその時は納得したように頷いていた。
しかし、季節が移り変わり、木々が緑を濃くする頃になっても、状況は変わっていなかった。SNSを見れば、相変わらずその人物との交流が続いている。時折会うミキは、その人への不満を口にしながらも、関係を絶とうとはしない。
私の中に、どこか居心地の悪い感情が芽生え始めた。なぜ私の助言通りにしないのか。あれだけはっきりと問題点を指摘したのに。そんな思いが渦巻く中、ふと自分の心の奥底が見えた気がした。
私は、ミキを思い通りにしたがっていたのだ。
その気づきから瞑想に入ると、さらに深い記憶の扉を開いた。子供の頃の光景が、まるで古いフィルムのように次々と浮かび上がってきた。進学する高校を決められ、習わされたピアノ。着る服も、交友関係も、すべて親の意向が優先された日々。その時の無力感、反発心、諦めの気持ち。それらは私の中で、まだ消化しきれていなかったのだ。